大分地方裁判所中津支部 事件番号不詳 判決
主文
原告羽賀留美子所有の宇佐郡宇佐町大字南宇佐字生代二二一八番の五宅地四拾七坪並原告丸石文弘所有の同所同番の四宅地八拾参坪四合弐勺と、被告賀来正所有の同所二二一三番の一宅地百六拾坪並被告賀来徳雄所有の同所同番の三宅地弐百拾四坪との境界は、別紙見取図コンクリート作排水溝東側壁(旧石垣ぎわ)上の(イ)、(ロ)、(ハ)、(ニ)の各点を直線で結んだ線であることを確認する。
訴訟費用は被告等の負担とする。
事実
原告等は主文と同旨の判決を求めその請求原因として、原告等の所有する主文掲記の土地は、昭和二十一年十一月前所有者訴外清輔一雄から原告丸石が買受け、その内二二一八番の五を分筆して原告羽賀留美子に売渡したものである。右売買に当つては、隣地たる被告等両名所有の土地との境界は、石垣の下へりということでその石垣ぎわには、粗雑な一鍬溝が掘つてあり、その溝を含めて買受けたものである。然るに被告等は、昭和三十三年秋頃右石垣ぎわを、南北に走る巾約一尺の前記一鍬溝を埋めて、これをコンクリート作り幅一尺の排水溝に作り換え、原告等と被告等の本件土地の境界線は、右コンクリート排水溝の中央であると主張するので、その境界の確認を求むると述べた。
立証(省略)
被告等は、原告等の請求を棄却する判決を求め答弁として、原告等所有の本件土地を訴外清輔一雄から原告丸石が買受け、その一部を原告羽賀が買受けたことは認めるが、その余は否認すると述べ、原告等と被告等の本件土地の境界は、コンクリート排水溝の東側壁ではなくその中央である。そのことは昭和三十三年九月十八日第三者立会の下に当事者双方合意の上定めたと述べた。
立証(省略)
理由
原告等所有の本件土地と、被告等所有のそれが相隣接すること、原告等所有の土地は原告丸石が、昭和二十一年前所有者清輔から買受けたものであることは当事者間に争いがない。成立に争いのない甲第一号証乃至第六号証、甲第八号証、甲第九号証、真正に成立したと認めらるる甲第七号証、乙第一号証並証人羽賀村太、同丸石タマ、同清輔一雄、同永松昇、同加徳甚蔵、〓田頴五、同幡手義彦の各供述によつて認めることのできる本件土地を、大正十二年六月原告丸石の父の時代に、田地であつた本件溝の西側の土地(原告等所有の本件係争地)を借受けたが、溝の東側の土地(被告等所有の本件係争地)が西側の土地より一尺位高く、当時の所有者訴外山田某が、土手崩れを防ぐため石垣を築き、借主原告丸石の母タマは、野菜の根くされを防ぐため、境界の石垣の根本を掘つて排水溝を作り、その排水溝は被告等がコンクリートに作り換えるまで存在していた事実、地主訴外清輔一雄が原告丸石に売渡すときも、東側の石垣の根本を境界とし、掘つてあつた溝を含めて売渡した事実、勿論訴外清輔の所有時代、溝を原告の母タマが作る以前石垣の下へりを境界とし東側の所有者訴外山田との間に何らの紛争が起らなかつた事実、東側の土地が被告等の所有となつて以来附近は宇佐神宮参道として殷賑を極め、家屋が漸次密集する事情等と相俟つて、右排水溝の利用が増大し、被告等もこの排水溝を利用するようになり、その所有を巡つて昭和三十三年八月頃は、原告丸石は埋没するというし、被告も溝の所有を主張して譲らなかつたので、同年九月十八日右両者の争を見かねた第三者が斡旋を買つてでたところ、双方が任せるというので斡旋者は、土地の境界線が何れに在るかは深く問題にせず、当面の溝をコンクリート作りとし共同して使用し、その中央を土地の境界とすること(乙第一号証)との解決案を作つたが、もともとこの妥協案は、溝を埋める埋めさせないの当面の解決策としての妥協であつたため、原告丸石が土地の一部を原告羽賀に売渡すに当つて、境界線を従来の主張通り石垣の下へり、即ち前記妥協案によつて作られたコンクリート溝の東側壁とする等、依然として土地の境界線は確定していない事実及検証の結果に本件口頭弁論の全趣旨を綜合して考うれば、原告等と被告等の土地の境界線は別紙図面の(イ)、(ロ)、(ハ)、(ニ)の各点を直線で結んだ線である事実が認められる、右認定に抵触する証人安藤由一の供述は前顕各証拠に照し採用し難い。
以上の外右認定を左右するに足る証拠はない。よつて原、被告等の土地の境界は別紙図面(イ)、(ロ)、(ハ)、(ニ)の各点を結んだ線と確定し、民事訴訟法第八九条、第九三条を適用して主文の通り判決する。
別紙
<省略>